北海道の江別市は煉瓦(レンガ)の町として有名ですが、象徴的な煉瓦工場は姿を消しつつあります。2026年7月には江別市東野幌の「丸二北海煉瓦 第2工場」でも変化がありました。
丸二北海煉瓦第2工場の煙突の消失
「丸二北海煉瓦」は、江別市に点在する煉瓦工場のひとつです。2021年(令和3年)度をもって煉瓦・農業用土管の製造を中止することを発表していました。
それ以降、事業は縮小されていきましたが、工場自体の煉瓦造りの建物は残存していました。
しかし、江別市東野幌に位置する「丸二北海煉瓦 第2工場」にて、象徴的な煙突が2026年7月に解体され、無くなったことが確認できます。
7月初めから煙突周囲に足場が組み立てられ、7月中頃に解体が進み、7月終わりにはすでに煙突が完全に無くなりました。

この「丸二北海煉瓦 第2工場」の煙突は、側面に「北海煉瓦」と書かれていました。近くに寄ると目立つモニュメントのようになっていましたが、もう存在しません。
江別市の煉瓦の歴史
そもそも江別市はなぜ煉瓦の町になったのでしょうか。
幕末から明治時代にかけて、煉瓦は近代化の象徴となっていました。木造家屋が主流の日本は火災が深刻で、燃えない丈夫な建造物を作るのに、煉瓦はぴったり。こうした需要があったので急速に煉瓦の使用率が伸びていったのです。
北海道では、まず函館で煉瓦の主要な工場がありました。その後、煉瓦生産の中心地は徐々に札幌に移動し、現在の白石区と豊平区あたりに主要な工場がありました。しかし、札幌でも宅地化が進み、それによって原料の採掘地が狭められたことで、明治30年代から野幌に煉瓦工場が建設され、こうして生産の中心が札幌から江別へと移りました。
江別市は煉瓦に最適でした。煉瓦を生産するためには3つの要素が必須です。それは、原料の粘土、平坦な広大な土地、煉瓦を焼くための燃料(昔は樹木)です。江別市はどれも揃っていました。
江別は、粘土などが幾重にも堆積した野幌丘陵という舌状台地の上に位置しており、煉瓦の原料土がたくさん採れます。江別市に住んでいる人は自分の家の庭をスコップで掘るとすぐに粘土土が掘り起こせることを実感できることも多いでしょう。
「赤ぼか」「目無粘土」「山砂」といった質の高い煉瓦に必須のものがあるので、まさに江別市は煉瓦のためにあるような地形です。
現在でもこの江別市には、煉瓦に換算して約5億7千万個にも相当するとんでもない大量の粘土が埋蔵していると推定されています。
また、鉄道や石狩川の存在によって、運搬もしやすかったことが、江別市の煉瓦工場の優位性に繋がったとみなされています。昔はこうした運搬は非常に重要でした。
最盛期だった昭和30年代には、江別市内だけで15社の煉瓦工場が稼働し、その煙突群はシンボルになっていました。江別市の町にいくつも並び立っている煙突の風景は、かつての江別らしさです。
しかし、現在は稼働する煉瓦工場は大きく減少してしまい、今回のように煙突も消失しています。